四日市ではその昔、墓地に火葬場が併設されている所があり、
そうした所を三昧と呼んでおりました。
昭和の初期頃葬儀は、自宅でお勤めをあげた後、
近親者で列をなして三昧まで赴き(葬列)
三昧にある母屋ような所でお勤めをあげた後、
近所の方(四日市では近所の方を組という)が
火葬の準備をして、荼毘に伏していたそうです。
骨を拾うのは葬式の翌日で家族の者が行うのが普通であり、
灰葬(はいそう)と言います。
(現在でも灰葬といっています)
今でも、四日市の一部では三昧の建物が残っているところもあります。
*ちなみに、葬列で使用する道筋は、その地域によってだいたい決まっており、
この道を葬列道(そうれんみち)ともいったそうです。
神社の前を通らないような道筋であったそうです。